山下達郎「Softly」レヴュー

「空間的には救済も支援も理解も欠如した場にあっても、人は時間のうちに身を持すことによって希望と誇りを持って行き続けることができる。信仰とはこの『到来すべきもの』への全面的な信頼のことである。」

 

これは私が大変尊敬している、内田樹の最新刊「レヴィナスの時間論」の冒頭部の一節である。

くしくも、山下達郎の新譜「Softly」と同時に購入し、私は家に帰り「Softly」をかけながら、この本を開いた。

 

同じだと思った。山下達郎も内田先生も「到来すべきもの」への、「明るい未来」への、全面的信頼を表しているんだ、と思った。そして、そのような未来を導くために、誰のせいにするわけではなく(レヴィナスによると神さえも頼ってはいけないのだ)、ただもくもくと、この世に少しでも良きものをもたらすために、自分のやるべきことを行っているのだ。この世に「到来すべきもの」をもたらし来たすのは「私」の仕事である。他の誰の仕事でもない。

私はそのような「私」になりたい。

私はそのような「私」たちを「師匠」と呼び、尊敬の眼差しを向け続けて止まないのである。

 

2022/06/26