「シン・仮面ライダーを観た②(あるいは古びたテーマ)」

「シン・仮面ライダーを観た①」では、私が、「庵野作品」を「弟子(勝手に自称)」としての立場で観ているということを書いた。

 

今回は弟子として、どう観たかを書こうと思う。

(しかし、あらかじめ言っておくけれど、割とわかりきってるかもしれない「普通」な事を言います。)

 

「シン・仮面ライダー」、テーマは「孤高」「信頼」「継承」。これはポスターに書いてあった通り。

そして、そこに「願い」と「幸福」という補助線を入れるとわかりやすくなる。

 

敵のオーグ達(KKオーグ以外)と、主人公達はみなそれぞれに「願い」をもっている。

 

クモオーグはとにかく己の力を誇示して相手を制圧したい。そして、それが彼の「願い」であり「幸福」である。

 

コウモリオーグはみずからの発明したウィルスによって、弱い者たちを淘汰し、残った強者のみによって構成されている社会こそが理想であると信じている。そして、そのことによって、自分が正しかったと認めさせることを願っており、それが彼の「幸福」である。

 

ハチオーグはみなが従順になる社会を、チョウオーグのイチロウさんは「本音だけの世界」(これは碇ゲンドウと一緒)になることが「願い」であり「幸福」である。

(あ、サソリオーグを忘れていた。彼女はひたすら、「エクスタシー!!」)

 

彼らははみな自分がどうしたら幸福になれるのかを知っており、それをを追求するためだけに生きている。自らの「幸福」を追求することこそが彼らの「願い」である。

 

一方、主人公達はそう単純ではない。

 

仮面ライダー1号、本郷猛はそもそも「幸福」に対する欲求がない。そういう言及は一切無かった。しかし、「父親を理不尽から守れなかった」という自責の念は強く、「力を、誰かを守る為に使いたい」という「願い」はある。(願いはあるが、はたして自分がこの恐ろしいまでの強い力をコントロールできるのか、「優しさ」あるいは「弱さ」ゆえの葛藤を抱えている。コウモリオーグとの対決の後に、闘う事を決心した本郷に対して、ルリ子が、「そういう事にしたのね」というセリフがある。彼は無理やり自分をそういう立場に押し上げたのだ。他人を守りたい気持ちもあるが、やはり自分がその力を「正しく」使えるか、逆に他人を傷つけるのではないかと怖いのだ。(自分が傷つくのが怖いというのも、そうは見えなかったが、もしかするとあるのかも知れない。)だから彼は画面上で常に微妙に震えていたし(震えてましたよね?はじめは自分の目が霞んでいるのかと思ったくらい微妙に)、感情が見えない抑揚のないセリフがその葛藤の強さを表現していた。一度でも感情を出してしまうと、抑えている「弱さ」が溢れ出し、自分がこの場から逃げ出してしまうのではないかと怖れているように見えた。)

 

緑川ルリ子は、「兄のイチロウが求めている幸福」は間違っている、という事まではわかるが、では何が「幸福」なのかはわからない。それを知りたいというのが彼女の「願い」。

 

仮面ライダー2号、一文字隼人は「スッキリして、良い気分」になりたい、おそらくそれが自分の「幸福」であるはずだ、ということまではわかっているのだが、では、どうすればよいのかはわからない。それを知りたいのが彼の「願い」。

 

このように、彼らは自分にとって何が「幸福」なのかがわからない。本郷に関して言えば、そもそも「幸福」に関心がない。(あるいはそれが「主人公」であるための条件なのかもしれない。)

 

しかし、物語が進むにつれ、ルリ子は自分以外の「他人を信頼する」ことで、一文字は「人から信頼され、願いを継承される」ことで、初めて「幸福」になる。

つまり、「自らの幸福追求」ではなく、他人を経由してのみ、はじめて自らの「幸福」があるのだと悟るのである。他人の為に幸せを願うことこそが彼らの「幸福」であった。そこが他のオーグ達と異なる点である。

 

 

話をまとめてみる。

まず、自分を信じ、孤立を恐れずに一人で全世界の責任を負って生きる。それが、「孤高」。(大変な生き方だなぁ)

 

その「孤高」である複数の人物たち(緑川博士、ルリ子、本郷、一文字)が出会い、協力し信じ合う。「信頼」。

 

その「信頼」している者へ、世界が少しでも良い方へ向かってほしいという、自分の「願い」を託す。これが、「継承」。

(これは原作を庵野が継承する姿勢でもあるはずだ。また、庵野が観客に対しても、また求めている事ではないか)

 

そして、最後に、そこまでできる人々に出会えた事による「幸福」。

これが今回の「シン・仮面ライダー」のテーマだったはずだ。

 

これまで読まれた方々は大筋において、納得してもらえたのではないかと(多分)思う。

しかし、やはり少し拍子抜けしたのではないか。

庵野作品にしてはなんだか、普通」「使い古された、古臭い、単純なテーマだな」と。

あるいは、「この事がテーマであるなんて、言われなくとも分かっていたけれど、だからといってそんなに魅力的な作品とも思えない」とも。

 

私も、(あるいは)そう思う。しかし、庵野は何故、そのような「普通のテーマ」を作品として世に出さなければならなかったのか。

「シン・仮面ライダーを観た③」では、「シン・エヴァンゲリオン」まで遡って論じてみたい。

 

さて、いよいよこれからが、私が本当に言いたいことである。(ここからが本題!がんばるぞ!)

 

 

                         2023/03/25㈯