「勝手にふるえてろ!電車男!」

2005年の映画「電車男」を観た。この映画によって「オタク」に市民権(?)が得られたと言われているようだが、私はオタク文化とかネット文化に物凄く疎い。
しかし、今回のような「人が恋をして自分の殻を破っていく」というのは普遍的なテーマであり、私にも理解できた。そして、それを「オタク」がやるというのが、このありふれたテーマをよりドラマティックにさせているようだ。

この映画を観て分かったことは、「オタク」というのは、「何かに異常に詳しい人」の事ではなくて、どうやら(繊細で、傷つくのを恐れるあまり)「自分の殻を破れない人」のことを言うようだ。よく、「アニメオタク」とか「ゲームオタク」とか言うが、それはその分野に異常に詳しいからそう呼ばれるのではなく、その分野(セカイ)から出ようとしない人の事であるみたいだ。(その分野の中から出ないで、同じ所を行ったり来たりしているのだから、詳しくなるのは当たり前だ)
つまり、この映画の魅力は「自分のセカイにとどまって、殻を破れない人」とされているはずの「オタク」が、「他者」に恋をすることで、自分の(普通の人よりも、より強固な)「セカイを壊そう」とする行為にあったと思う。
私も観ているあいだ、掲示板サイトの投稿者になったつもりで、彼の事をそれなりに応援できたし、少しは楽しんで観ることもできた。
が、どうしても(またもや、批判するのか、、、「性格悪いなぁ」と思う。最初から、「さぁ〜悪口言うぞ〜」という気持ちでは、もちろん観てないんだけれども、、、)中谷美紀演ずる、ヒロイン、エルメスに対して違和感がぬぐえなかった。主人公に対する態度があまりにも理想的で都合が良過ぎるのだ。これでは「他者」ではなく、自らが創り上げた、都合の良い「妄想の人物」にしか見えないではないか。結局、自分の妄想の内部で恋をしているようにしか見えなかったのである。

その事を踏まえた上で、私からの提案がある。
それは、物語の最終盤、主人公はボロボロになりながらも勇気を出して、ヒロインに「好きです。あなたとずっと一緒にいたい。」と告白し、ヒロインも「私も好きです。あなたの事が。ずっと一緒にいましょう」とそれに応じる、そのシーンの一部変更である。 

何故、変更したいかと言うと、私はそこで不意にある映画を思い出したからである。
2017年の映画「勝手にふるえてろ」である。
この映画の主人公は20代の会社員女性(だったと思う)であるが、同じくオタクとして描かれていた。この主人公が同窓会か何かで、ずっと想い続けていた同級生(しかし、卒業以来一度も会っていない)と、たまたま二人っきりになり、共通の話題で意気投合するのであるが、その憧れの彼に唐突に言われるのである。「ところで、きみ、名前なんだっけ?」と。
彼女は何年もの間、彼との学生時代に交わした言葉を何度も何度も頭の中で反芻し、自分の妄想内部において彼と沢山の会話を交わしてきたのだ。それを生き甲斐に生きてきた。そうであるにも関わらず、彼にとって主人公は名前の無い、ただの「同級生」の一人だったのである。
そこから彼女のミュージカルのように描写されていた楽しげな日常(彼女の妄想内部のセカイ)は一気に崩壊し、なんの味気もない現実世界の描写に転換する。(それまでの釣り人、駅員さん、コンビニの店員との親しげな交流は、全てが彼女の妄想で、後半はそれらの人々は彼女に見向きもせず、実は彼女の存在自体を認識していなかった事が明らかになる。)それを思い出してしまった。名前も分からないのなら、恋なんて、始まるわけはないのだ。(一目惚れならあり得るが、必ずその人の名前を知ろうとするはずだ)


そう、「電車男」での恋人たちは二人共、一度も名前を呼び合っていないのである。私はそこで、「この人達、本当は名前なんていうの?」という疑問を持ってしまったのである。彼らが相手を呼ぶ時は互いに「あなた」である。そして、掲示板サイトの投稿者も観ている我々も、主人公が「電車男」で、ヒロインが「エルメス」という掲示板サイト上での、仮の名前しか知らない。エルメスも自分が掲示板サイトでそう呼ばれている事も、今、目の前にいる男性が電車男と呼ばれているのも知らないはずである。
つまり、彼らも我々も「名前」を知らないのだ。
何故、私が「勝手にふるえてろ」をその告白の場面で思い出したかと言うと、ヒロインが「私も、好きです」と言った後に、少しの間があり「あなたの事が」と言うのだが、なんとなく、「あなた」と言うのが、言いにくそうで、不自然に聞こえたのである。
普通、こんな大事な愛の告白の場面では、「あなた」という誰にでも当てはまるような言葉ではなく、相手の名前をしっかり呼ぶはずである。つまり、「名前」とは、「他の誰でもない『あなた』」を呼ぶときに使うものだと思う。だとするならば、愛の告白においては、お互いにその人の「名前」が呼ばれるのが適当であるはずである。
だから、この告白の場面での、「私も、好きです」「あなたの事が」と言った後に、本当に口にされるべき次の言葉は、主人公の妄想セカイを叩き壊す言葉として、「ところで、あなたの名前は、なんですか?」である。

実際の物語は、愛の告白の成就と、接吻により、二人の周りにあるビルのガラス窓が、掲示板サイトの画面のようになって、オタク言葉での祝福の言葉が溢れ出す、という演出で終わる。

が、「ところで、あなたの名前は、なんですか?」というセリフが、もしも言われたなら、掲示板サイト画面を模した、ビルのガラスから流れてくる文字は「ワロス、おまいのただの妄想www」(オタク言葉、あってるかな?)等の誹謗中傷の類いではなかっただろうか?
そこで、主人公は目を覚まし、掲示板サイトを開いたままパソコンの前で、寝ていた事に気づいて、これが夢であったのを知る、というオチでどうだろうか。

と、意地悪な事を述べたが、この映画で、自分の殻を破って外の世界に一歩踏み出そうとする勇気をもらった人も大勢いると思う。映画を観て、そういう気持ちにさせてくれるなら、(その人にとっては)素晴らしい作品であるし、だからこそヒットしたのだと思う。
でも、何度も言うが、現実にはエルメスのように理想化された人は(たぶん)いないだろうし、そうであるならば、実際にはどうしても「勝手にふるえてろ」的な展開になってしまうと思う。
だけれども、「勝手にふるえてろ」的な、主人公が絶望するような展開にならないと、本当に「殻を破る」事はできないのかもしれない。
上記の筋書きで、「勝手にふるえてろ電車男!この、妄想野郎!」という題名の映画を制作することを提案する。(冗談です。それに売れないと思う)
               2021.6.15


ということを、頑張って書いた後で、この物語は、実際の掲示板サイトの書き込み「だけ」を元にした物語であるのを知った。(私は掲示板サイトだけではなく、実際の本人達へのインタビューもなされて制作された映画であると思い込んでいた。)それだけが情報源であるならば、掲示板内で本名が明かされているはずはなく、映画版でも「電車男」と「エルメス」という呼び名で、通すしかないのもわかる。そして、本当の「名前」をその本人たち同士でさえも呼び合わずに、「あなた」としか言えなかったのも、納得できた。
つまり、私が書いたのものはそもそも、前提が間違えており、これこそ妄想の域を出なものであった。この文章を削除するのは簡単な事であるが、読者に「愚かな奴だ」と笑ってもらう為にも、ここに残しておきたい。(偉そうに言ってやがらぁ。ワロスwww間違えたくせにwww)